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最近思った事

最近流布している個人ブログって何処か自己啓発臭を感じる事が多い。

 

以前書いた「自己啓発マニアに告ぐ」の①②で書いたように、おれは以前自己啓発に狂っていたという黒歴史があるため、そういう嗅覚が働いてしまうのだ。

 

だからそういう人のブログっていつかの自分が書いたもののように思えて、なんかこう読んでたらイライラするし、最後まで読む気になれないし、どうせどこかから引用してきた「借り物の言葉」のつまんねーパッチワークなんだろうなって決めつけてしまう。(おれ自身がクソジジイ化しているというのもきっとある)

 

偉そうに「効率」だとか「情報の整理」とかなんとかぬかしている人って、結局著名人が書いたビジネス本にかぶれた「なんちゃって野郎」が多くて、実社会では役に立たない人がほとんどなんじゃないだろうか。

理想の自分を演じて、あるいは、自分はこういう人間である、と思い込んでいる人がほとんどじゃないだろうか。

 

なんでそんな風に決め付けるんだ? と問われれば、おれがそうであったという事にあわせてこれまで出会った自己啓発野郎は仕事出来ない人が多かったからである。

 

本当に何かにずば抜けた人達って、相当偏った人達が多い。

そもそも自分の考えを他人に強要する暇がないくらい自分のやるべき事に没頭していて、自分から他人に説教じみた事を発信する人はいなかった。

 

だから他人にハウツーとかを伝えるブログ書く人って信用できない。そこまでやるべき事に没頭出来てない中途半端な人達なんじゃないのかって疑ってしまうのだ。

 

勿論、仕事をやる上で効率を考えるのは当然の事だが、そういったなんちゃって野郎(が多い)の記事を読む時間があれば、仕事と真正面から向き合って没頭する方が何倍も有益である。

 

もしかすると、おれが「ムカつくから」という稚拙な感情論でスルーしてしまっている「それらの」ブログの中には有益なものもあるかもしれない。心から感動するものもあるかもしれない。

 

でもそんなもんがあったとしてもどうせ稀だし、良文探すのに膨大な時間かけるくらいなら、自分の頭で考えてトライアンドエラーする方が、結局は早いし成長もするのでおれは読まないし事にしている。

 

と、まあ終始大人げない文章を書いてしまったが、そもそもこんな記事を読む時間があったら、あなたにとってもっと他にやるべき事があると思うので、読み終え次第さっさとこの記事閉じて、そっちのやるべき事の方を頑張ってください。

2017年に入ってみたもの③

 5/8@大阪ビルボード  「デヴェンドラ・バンハート」

 

今現在活動中のアーティストの中でも恐らくベスト3に入るぐらい好きなミュージシャン。観たのははじめてだったけれど、とにかく最高だった。

1日2公演の為、演奏時間自体は実質丸1時間程だったけど、あんなにも充実した時間をすごせたのはいつ振りだろうか?

 

バンド編成なのも、選曲も、音も、ファッションも、何においてもおれの想像を少し超えていて、またこの「少し」というのが何とも絶妙な上回り方で本当に素晴らしかった。

 

最近ムカつく事が多いけど(多分その原因は、最近また音楽を作り始めたせいで、精神年齢が子供に戻っているからだと思う)、そんな事どーだっていいように思えるような、何もかもクールに流してくれるような圧倒的な「余裕」のあるライヴだった。

 

何よりもデヴェンドラ自身が一番ステージを楽しんでいて、思っていた以上に変な動きをしていて、とても愛嬌のある方だった。

 

そして、あらためて自分は「バンドの音」が好きだと思った。人力最高。

 

昨年も来日してたけど、来年も来てくれるだろうか。

来てくれるなら必ずまた行きたい。

 

自己啓発マニアに告ぐ②

昨日、前回の「自己啓発マニアに告ぐ」を書いてから、ふと自分と似たような経験をした人間がいるんじゃないだろうか? と気になったので、ちょろっと「自己啓発 黒歴史」のような感じで検索エンジンにかけてみた。

するとなんとも他人事とは思えない記事がいくつも出てきた。

 

人間、それぞれ全く異なった環境で育っていても、結構似たような人間はどこにでもいるものだなと感じた。

しかも皮肉な事に、自分がそういう自己啓発マニアであった時は限りなく自分はオリジナリティーのある特別な人間だと思っていた。だからこそおれは前回の最後に「再会」したあいつの事をとことん信じた。おれの周りの中で特別な人間は、おれとあいつだけだ、といった具合に。

 

検索にかかった記事の中には「億万長者になれる」的な巨額のセミナーに通うためにローン地獄に陥っている人までもがいた。

自分はさすがにそういうのは無かったけれど、一歩間違えたらそういうのが実際に起こっていても全然おかしくない状態だった。

 

それらの人たちは共通して、学歴であったり収入など世間や他人に対して何らかのコンプレックスであったり将来に不安を抱えていたりしていた。

そして、こういってしまっては口は悪いが、みんな共通して知的レベルが低い、という印象を受けた。広い視野を持っているようで実は視野がとても狭いのである。

 

そんでなぜこんなに過剰な書き方をするかというと、もしこのブログを読んでくれた方の中に、現在自己啓発に心酔している人がいたならば、せめてもの助言として心の片隅に置いておいて欲しいからである。

 

おれは何も自己啓発のすべてを否定する訳ではない。

ひどくやる気の出ない時に読んでモチベーションを上げたりとか、心のサプリメントとしてたまに取り入れるくらいであれば全然構わないし、もちろん自己啓発とカテゴライズされる本の中にも人生一度は読んだ方がいいような素晴らしい本だって沢山あるだろう。

何よりも自己啓発を全否定しながら全く本自体を読まないっていう人もそれはそれでどうかとも思う。

 

おれが言いたいのは、他人の考えたモノに自分の全てを委ねてしまってはいけないという事だ。結局自分の幸福のモデルなんてどこにも存在しないし、幸福は自分で見つけて、自分でそれを捕まえるためにこつこつと頑張っていく他ない。幸福の応えはどこにもない。自分で築くしかないのだ。

たとえ一時的に上手くいったところでしばらくしたら必ず後悔する。

 

それが分からなければ、あなたよりも賢い悪い奴らにとことん利用されてしまうだろう。おれがかつてそうであったように。

 

先ほど自己啓発黒歴史を経験した人に共通する事として、世間や他人に対して何らかのコンプレックスであったり将来に不安を抱えていた、と述べたが、自己啓発にハマる理由はそこにある。それこそが自己啓発商法と呼ばれるものの実態なのだ。

人の弱みにつけこんで、そういった一時的に弱った人を食い物にする鬼畜ビジネスである。

 

また自己啓発にハマる人は、みんな共通して知的レベルが低い広い視野を持っているようで実は視野がとても狭い、と過激な事も敢えて述べたが、それは実の所、おれの本音ではない。

悩みすぎているせいで思考が疲弊していて、冷静な判断力が無くなっている状態になっているというのがおれの本音だ。

 

だから、今たとえもしあなたが今どんなにうまくいってなくても悲観しないで欲しい。

ちゃんとしっかりと冷静に考える事が出来れば必ず打開策は見つかる。

だから、おかしいと思った事はしっかりとおかしいと口にして言うべきだし、もうどうしようもなくなって逃げるしかないのであれば、逃げたっていいと思う。本を読んでて何かがおかしいと感じたらすぐ捨てるべきである。

 

啓発本を読むのに時間を遣うのであれば漫画MONSTERを全巻読んだ方が絶対に価値がある。(MONSTERは全体的に洗脳を扱った漫画だが、実際にこういう洗脳を扱った犯罪は90年代の日本にもあったらしい。専門家曰く洗脳する事自体はそんなに難しい事じゃないそうだ。怖っ)

 

たとえどんなに自分の考えに自信がなくても、自分の人生の選択を他人に委ねてはいけない。自分に自信がないからといって選択を放棄するのは卑怯者です。

それは、失敗した時に誰かのせいにする為の伏線に出来るから。自分にその気が無くても、失敗した時に誰かのせいにできてしまうから。

 

自信がないなら「これかな?」と思う答えが出るまで考え抜く事。それでも自信がなければ紙かなんかに書いてみる事。とにかく徹底的に考える事。

 

他人の頭で考えるのではなく、自分の頭で考えて、有益な時間を過ごしてください。

自己啓発マニアに告ぐ

一時期、アホみたいに自己啓発本や所謂意識高い系が読むようなハウツー、ビジネス本や哲学に狂っていた時期がある。

そういった関連の本を、最初に手にした当時のおれは将来に対して大きな不安を抱えていた。間違いなくそれが反動となったのだろうが、本の内容がスーッと心の奥底まで沁みわたってきて、それはそれはとても感動したのをよく憶えている。

 

それからのおれは「そういった本」の中毒となって、毎日書店に通い、「そういった本」を貪り読んだ。朝早起きして珈琲ショップでそれらの勉強してから仕事に行くとか今考えると背筋が凍るような寒い行動を真剣にしていた。

 

当時は意識していなかったが、おれは多分そうした「意識高い系」の行動をする自分に酔っていて、本に書かれている内容を盲信して、そうしたマニュアル通りの行動を実践していれば全部がうまくいくと思っていたのだろう。

 

また「そういった本」が中心ではあったもののとにかく本は大量に読んでいたので、多少の知識はついていたようだった。

その知識がついたというおれの一部分だけをみた友人からは「なんかちょっという事がかわったね」とか「すげえ。そんな知識あったんだ」みたいな比較的ポジティブな事を言われるようになったので(おれの友達は基本的に良い奴等が多いのだ)、余計におれは自分が頭良くなっていると勘違いして、さらに以前に増して自分の行動を肯定するようになった。

 

きちんと正しい行動をとっていれば、絶対に成功する。うまくいかないのは自分の何かが間違っているかもしくは今後自分が目標に到達すべく試練であると信じていた。

 

正しい事やっていれば、必ず正しい事が起こる?

そんな単純に世の中が出来ていれば、誰も苦しんだり悪い事なんて起こらない。

悪い奴はすべてちゃんと裁かれて、罪なき人が理不尽に死んだりしない。

現実はもっと自分では理解できないくらい曖昧で混沌としていて理不尽なものだ。

 

そんな普通に考えればたどりつく事をスルーし続けた世間知らずだったおれは、自分に都合のいい言葉にだけ耳を傾けて毎日本を開く事で目新しい情報に触れて自分が高まっているような感覚に陥っていた。

 

今思うとそれだけも膨大な時間を無駄にしてきたと後悔してしまいそうになるが、それでも最初の1~2年くらいは本を買って読むだけだったので全然マシだった。

 

問題はそこから。

 

なんとなく連絡を取って一緒に飯を食う事になった同級生と何故か「そういう話」になった。

そしたらそいつはおれが1~2年でつけた「そういった知識」を既に持っていて、おれは嬉しくなった。同様にそいつもおれが感じたような言葉をおれにかけてくれて、それまでのそいつのイメージはすべて吹っ飛んで、親友だと思った。

 

おれはその日からそいつとしょっちゅうつるむことになった。

 

つづく

2017年に入ってみたもの②

こないだの続き。

 

4/29「こんがり音楽祭」@大阪城野外音楽堂

 

チッツ

OAとして登場。以前から知っていて、メタルディスコという曲のMVは一時期毎日のように見ていたが実際にライブ観たのははじめて。

漫画のキャラクターとして出てくるようなダサい男たち(あくまでもキャラ設定上であって、全員顔立ちは悪くない)の醸し出す空気というのか、色んな意味で度肝抜かれた。それは楽曲、演奏のグダり具合(たぶんワザと)、ステージング(間違いなくワザと)にまで及ぶが、なんというかまとまってなさが物凄くまとまっていて、素晴らしかった。

 

王舟

三年振りくらいに観た。

とにかく曲も声もめっちゃええ。最高。この季節の昼間の野外イベントにマストな音楽だった。

バンドセットでも観てみたい。

 

イースタンユース

10数年ぶりに観た。前回観たときの僕は当時ティーンネイジャー(!)

その時に観たイースタンユースは男臭い印象が強かったが、新生イースタンは女性ベーシストが加入していて、見た感じ柔らかい印象になっていた。

吉野さんも当時のMCとか怖かったけど、なんか角が取れた感じになっていた。

実の所、数曲みて休憩しようかと思っていたのだけれど、一音目から完全にヤラれた。エグかった。心が震えた。もうあまりに素晴らしくて思わず見とれてしまった。

個人的にこの日のベストアクトでした。

 

DODDODO BAND

はじめて観た。好きな感じだったけど、その前のイースタンの余韻が頭から離れなかったのと雨が降りそうで気が気じゃなく正直あまり記憶がない。。。

またライブハウスで観なおしたい。

 

キセル

この日はキセル目当てのお客さんもかなり多かったような印象を感じた。

演奏がはじまるなり先程までの曇り空はどこかにいってしまって、浮遊感のあるサウンドが昼下がりの野音を包み込んだ。

心地よくて飛べそうな気がした。実際に飛べるわけないけど。

 

オシリペンペンズ

5~6年とか振りに観た。いい意味で当時とは変わらず、踊れないかわりに(ペンペンズの曲は本当にノリにくい楽曲なのである)脳みそがぐらぐら揺らされるフリーキーなサウンドだった。

久々に観るとやっぱあがる。相変わらずギターが凄かった。

ペンペンズ観るといつもシャッグスを思い出す。(シャッグスは下手だが)

そういえばシャッグスも今年再結成らしい。

 

スチャダラパー

この日一番じゃないのかってくらい盛り上がったアクト。

キャッチーでソフトな日本語ラップ

改めて考えると、お茶の間にラップをひろめたスチャダラの功績って尋常ではない。

個人的にDTMかじりだしたせいかフロントよりもDJに関心が向いた。

 

never young beach

日が沈みイベントも終盤に迫った頃に、今ものすごい勢いのバンドであるネバヤンが登場。若いのに落ち着きのある印象の若者達の演奏は、勢いがありながらもやはりいい意味で落ち着いていた。

特にギター、ちゃんと抑えるべきところは抑えていて、とても聞いていて気持ちが良かった。デヴェンドラとか細野晴臣とかから影響を感じる楽曲も素晴らしかった。ただドラムが荒かったのが勿体無い。

 

neco眠る

necoも三年以上ぶりとか。現メンバーでは初見だった

人数が増えた分、音もめちゃめちゃブ厚くなっていた。長丁場で充実したラインナップを観てきたので正直疲弊感は否めんかったけど、その状態でもちゃんと踊らせてくれるnecoってやっぱりすごい。

 

・・・・・・・・・・・・・

 

という訳で、見応えのある素晴らしいイベントでした。

最近はワンマンとかばかり見に行ってたので、疲れたけど行ってよかった。

たぶん夏だったら死んでたな。

焦った時にこそプランニング

昨日の夜と今朝と貴重な時間を無駄に溶かしてしまった。

 

例のごとくDTMで曲を作っていたのだが、いきなり躓いてしまって、そのままグダグダとなった感じ。

だらだらして無駄な時間を過ごすのであればまだしも(それも嫌だが)

やりたい事やって躓いて、ぐるぐると悩んで先に進まずにただただ時間を浪費するという、もっとも屈辱的かつ無駄に時間を遣ってしまったのである。

 

人間出来ない事は出来ない。

数日や数ヶ月頑張った所で出来る事が一気に飛躍するはずがない。そんな事は分かっている。

頭では分かっているのだが、心では分かっていないのだろう。

いざそういう場に置かれると妙なプライドが邪魔して無理してしまう節がある。

 

ちょっと考えて「この方法じゃどうやっても無理だな。らちがあかないな」と思った時点で手法を変えるべきである。

諦める事は(出来ない事を)明らかにする事。

出来ないことを理解して、認める。そしてその上で対応策を考えるのである。

 

①その問題は、どうすれば克服出来るのか?

②その問題を克服出来たら、自分にどのようなメリットがあるのか?

③その問題を克服するのに、どのくらいの時間が必要か?

④そもそもその問題は、本当に自分が克服しなければならない事なのか?

⑤誰かに頼む事は出来ないのか?

⑥他に出来そうな事で代用は出来ないのか?

⑦その問題を克服、あるいは他の代用などで対処出来たとして、そうすれば自分のやりたい事に近づくのか?

 

向き不向きというのはどうしてもある。

無理して向いていない事を克服するのに時間をかけるくらいであれば得意な事を伸ばす方が有益に時間を遣える。

 

そう考えると「答えが分からない」という状態よりも「問題自体が分からない」という状態の方が、格段にやばい状態であると言える。(因みにここでいう「やばい」は現代において凄い事を意味するものではなく元来の意味のものである)

 

そういったやばい状態に置かれて場合は、まず「自分の一番の目的は何なのか?」をまず考える。

そうして目的の本質が見えてきたら、今度は「自分は何を理解していないから、物事が思うように進まないのか?」という質問を自分に投げかけ続ければ「問題自体が分からない」という状態から抜け出す事は出来るだろう。

 

面倒だし先が見えないかもしれないけれど、嫌なら辞めればいいだけの話である。

なんの分野においても成長したければ、日々コツコツとやる他には道などないのだ。

GWと物欲

最近レコードプレーヤー(約2万)をヤフオクで買った。

しかし現在、カートリッジ(8千くらい)とフォノイコライザー(6千くらい)とコンポ(4万くらい)とスピーカー(ピンキリ。2万くらい~)が無い。

 

スピーカーはDTMで使ってるやつがあるけど、出来れば聴く専用スピーカー設けたい。

というそんな感じの流れから、どうせ金遣うのならなるべくいい音で聴きたい、などと思い始め、さらには、、、

 

①見た目恰好良いやつがいい。

      ↓

②思い切った音で聴ける部屋に住みたい。

      ↓

③金が欲しい、音楽に費やす時間がもっと欲しい。音楽聴く時間も欲しい。

      ↓

④あー、どうにか音楽で大量収益出されんかな。マジで。(←今ここ)

        ↓

⑤現実逃避する

        ↓

⑥現実に戻る(そして①に戻る)

 

という心情。

 

まあ苦悩しているのは自分だけではないよね。皆だよね。

貧乏人は悲しいよね。でも貧乏は貧乏なりに知恵使ったり工夫しながら、

ゆとりのある生活しなきゃだね。

 

日々節約して浮いた金まわそ。