街に出よう

ブログを更新するにあたって特に書く事がない、というのは今にはじまった事ではないが、その理由は単純明快で肉体的な活動を行っていないからである。

 

と、いっても実際には、

起きて ⇒ 仕事行く ⇒ 仕事する ⇒ 仕事から帰る ⇒ 飯食う ⇒ 部屋で音楽つくったり練習したりする ⇒ 寝る ⇒ 最初に戻る

 

という当然の事ながら、生きているので活動している訳だが、

たとえば「ライブをしました!」「どこどこに行きました!」といったような所謂非日常的なイヴェントが自分には少ないので(まあ、年相応といえばそうかもしれないが)外に発信するような事も無ければ、特に自身で憶えておく必要もないという結論に至っている訳である。

 

外の世界に行きたい気持ちもあるけれど、それ以上に部屋に籠ってコソコソとしている方がいまは楽しいのだから仕方がない。何事にもバランスが大事だという事も知っているが、偏った生活しか出来ないのだから仕方ない。

(おれの生活は大体で2~3年周期の「マイブーム」が訪れて、ひたすらそれをやり続けるという傾向にあるようだ。)

 

外に向けての活動が活発だったのは二十歳頃のライブしまくっていた時期で、あの頃にブログやっていたら書く事がすげーあったんだろうと思うけれど、

人間ひとりのスキルとしては殆ど皆無といっていいくらい成長がなかった時期だとも思う。曲とか作って発信しまくっていたけれど、それまでに培った感性を絞り出して使いまわしていたにすぎない。

結局、スキルを成長させるのは孤独な時である、と現在のおれは思う。

(いや、のめり込んで何かをやっている時は、孤独さえ感じられんので、その表現も少し違うか?)

 

まあしかし、他人に認識されない事は存在しないものと同じ、というような事を昔の偉い哲学者は言ったそうな。

でもそれもあながち間違いではないと思っていて、普通に考えて、自分が嫌な奴と認識した奴は自分にとっては嫌な奴以外の何者でもなくて、知らん奴はおれからすれば存在していないのと一緒である。

 

別に、死ぬ時までにひとりでも多くの人の中で存在しといて欲しいとは思わないが、これからの人生で自分にとって、面白い奴、好きな奴、とはたくさん会いたいと思うし、そいつらの中で存在したいとも思う次第である。

 

そのためには、やっぱし少しは外に向けて生きなきゃいけねえな、と思う今日この頃である。